西日本ツーリング2023年 ステージ5

■ステージ5 『竜馬にあう』 高知と宇和島で休養■

15日目(水)高知市
 今日はホテルにこもりこれまでの旅の整理と、今後の旅の構想と計画をする。終日雨の予報でちょうど良かった。
 15時くらいには雨が上がって晴れ間も見える。夕食の買い出しついでにJR高知駅へ行き、明日のバスチケット”MY遊バス”を購入した。ついでに、SUICAにチャージをしようと思ったが、高知は不可だった。

JR高知駅前、3偉人賢人像、ようやく高知に来たな~~と感じる。

 部屋で高知のTVを見ていると、これまで立ち寄ったことのある道の駅が良く出てくる。キャンプした道の駅東洋も、クジラと茄子の料理などが特集されていて、そんなに特徴あるところだったのかと驚く。今度から道の駅に寄ったら、もうすこし詳しく見てみよう。まあ、グルメにはほとんど興味が無いのでね~~。
 今夜もカツオのたたきを食す。
 本当はランニングをしないといけない日だったけどね。罪悪感。


16日目(木)高知市
 午後から雨予報なので今日は早めの行動、8:00高知駅発のバスで桂浜に行く。平日なのに7割くらいの乗車率かな。

 到着後、早速龍馬像へいく。まだ9時というのに、修学旅行や韓国の団体さんなど結構人が居て騒々しい、まあ今やとっても有名な観光地となったからね。人混みの隙間をぬって、なんとか三脚で写真撮影成功した。逆光だけど。人混みの中でバスで隣だったお姉さんと目があい、撮影のタイミングと場所で迷っているらしく、人を避けられる斜め方向からの撮影を教え、ついでに撮ってあげた。

今回の旅の目的、龍馬像と会う。大きすぎで顔まで高いから表情が良くわからない。

 せっかくここまではるばる来たのに、この人の多さじゃあ感傷的になる雰囲気にならないので、いったん桂浜の方へ行く。太平洋の荒波を眺めて再び龍馬像へ戻ってみると、人がまばらで良い感じになっていた。

桂浜。天気が悪く視界は悪いが、雰囲気ありますね、ここは。

 そばのベンチに座ってゆっくり像を眺める。今やこの像のコピーを至る所で見かけるけど、この本物は顔はりりしく立ち姿が雄大で、正直カッコイイ。35年ぶりくらいかここに来るのは、でも当時のことはまったく覚えていない。今回の旅のテーマのひとつ、「竜馬がゆく」を読みながら旅をし、高知の桂浜で龍馬に会おう、だった。これで旅の目的地のひとつには到着した。

記念館ではのんびり時間をかけて見学した。こちらの方が人が少なく龍馬に浸れた。


 龍馬記念館へ行く。当時の手紙の展示が多く、でもきっちり現代語訳が併設されているので内容が良くわかって大変面白い。当時の手紙はこういう長い巻物に延々と書いていくモノ、手紙が自分の意思表示となり、それが指示書になり、情報交換の重要なツールだったこともわかる。龍馬だけかどうか知らないが、結構口語調というか語り言葉が多くこれも興味を引いた

有名な、近江屋で襲われた際の血がついた屏風。襲撃の真相は大きな謎でボクも興味が尽きない、最新の説はどうなんだろうか?
これも有名な、薩長同盟の裏書き。薩摩側には資料が皆無で、真の目的は??と説明があってこれも興味深い。

 ジョン万次郎の展示物も大変面白かった。この方の人生も、もっと大きくクローズアップされて良いと思うが・・。

 バスの乗車方向を逆に間違えるポカなどあったが、バスで市街地に戻る。はりまや橋で降り、歩きで龍馬生誕の地へ、これだけ有名になったので生家が復元されているとばかり思っていたが、そこは病院が建っていて、記念碑と看板があるだけだった。

市内を歩いて散策した。

 ここで、千葉から来られたひとり旅のおばさんと話す。桂浜へは行かないとのこと。
歴史には興味が無いので龍馬が何をした人かなどまったく知らない、ただ武田鉄矢が好きだった人ですよね!」 
 とのこと。それでまったく問題無いです、趣味や興味は多種多様、自分の信じる道を行く、これぞ人生ですよ、とお互い笑い合った

見落としてしまうくらいビルの陰にあった、龍馬生誕の地の記念碑。お城に近かったのが意外でした。

 高知城へ行く。あまり聞かない城なので、現代に復元された城かと思っていたら、400年の歴史ある城でビックリ。なるほど石垣が立派だし、歴史を充分感じられるたたずまい。天守閣も当時の建築のままで、とっても良い城でした。

高知城は素晴らしかった。石垣は立派ですね。

 人気の”ひろめ市場”に寄る。この屋台形式なら海外駐在時にさんざん見たので、特に感動が沸かないなあ。それにグルメに興味が無いボクの目には、ただの観光化と見え、食事も酒も高いよ。屋台イコール屋外で食事を楽しむ、それに非日常を体験したいなら、ボクのキャンプに来たらと言いたい。(言い過ぎか?)
 今日もスーパーで買ったカツオのたたき、うまいよぉ~~~。

毎夜、カツオを頂きました。


17日目(金)高知~宇和島
 今日は移動日というのに終日大雨予想、朝からTVは、ここ四国は
線状降水帯が発生した!” 
だの
”大雨洪水警報!”
だの、緊急速報のアラーム音が鳴るたびにドキッと脅かされ、心はず~~~んと重く暗くなる。幸いに今夜もホテル泊まり、雨中の移動だけが問題だから、となんとか気を奮い立たせる。
 10時頃までPCなどやって、結構な雨量の中、宿のご主人にご挨拶してから11時出発。

 TVのワイドショーでは、今日は不要不急の外出は控えたが良いと言っていたせいか、道路は車が少なくすごく快適。ついつい飛ばしたくなる感情を抑え「慎重に!緊張感を持って!」とバイクを走らせ、国道56号から197号へ。

大雨警報が発令中にバイクで移動。用心しながら走ったが、車が少なくむしろ走りやすかった。

 12時、道の駅布施の坂で、”なんとか(名前忘れた!)担々麺”の昼食。雨具は着ているけどずぶ濡れのボクを見てか、おばさんが「このラーメンで暖まって」と、声をかけてくれた。

 少し小雨になって、道の駅日吉夢産地で再び休憩。雨をしのげるベンチがあったのでちょっと昼寝、ここまで来たら目的地宇和島まであと35kmくらいと、気も緩みなんとなく出遅れていたら軽自動車で来たおじいさんから話しかけられ、1時間以上の長話となった。120円のコーヒーをおごってくれ、別れるときは、
「毎日ここに座っとるけん、またおいで」
と言ってくれ、気分はほっこり!

地元のおじいさんと話し込む、話題ネタが少なく時々会話が途切れるが、双方とも元来無口らしく、それでも楽しかった。次来たときもここで会うのかな?お元気で。

 今夜からの宿は宇和島オリエンタルホテル。大雨の中無事到着し安堵。自慢のモンベルの雨具は、4時間に及ぶ雨中のバイクにもかかわらず浸水は無し、大したもんですね。

宇和島オリエンタルホテル。無事到着して、安心した。


18日目(土)宇和島
 今日は朝から快晴、行けなかった四万十川も近いが、昨日の大雨で川は濁っているだろうから今回はパス、またいつかにしましょう。と言うことで、今日は歩きで宇和島城見学に行く。なにやら今回の旅はお城巡りになっているけど、正直これが大変面白い。

 ちなみに江戸時代に築城で現在まで残っている「現存天守」は全国に12基あって、そのうち四国には4基もある。ならばこれは全部見学したい。なぜ四国に多く残ってかは、想像だが、空襲被害が少なかったせいじゃないかと想像するが。

宇和島城、緑と青空の中、石垣と天守が映えて美しい。

 宇和島は、司馬遼太郎の「花神」で親しみがある。

 宇和島城は小高い丘にあって、市内のどこからでも見える。最初の登りがきついが、当時を思わせる石垣や石畳がとても素晴らしい。天守だけが残っているが、こぢんまりした佇まいがこれまたよろしい。見学者が少なくさらにグッド!かつてこの城は海外沿いだったことも興味深い。

石垣も歴史を強く感じて素晴らしい。雨上がりなので空気も爽快感。

 城山郷土館へ。今よく読んでいる作家吉村昭も、良く宇和島を訪れたらしい。宇和島出身の偉人賢人がまた面白い。
 以下は自分用のメモ→嘉蔵こと前原巧山、司法を確立した児島惟謙、シーボルトの娘イネ、二宮敬作、面白かったのが別府観光の礎をつくった油屋熊八、、などなど。

かなり長く滞在したが、ここはだれも他の見学者が来なかった。

宇和島は有名な方が多い。知らない方もちゃんとメモして、後日研究したい。

 昼は有名な鯛飯を食べに、道の駅きさいや広場へ。11時過ぎと言うのにすでに地元の方で満員で、あきらめ方々歩いて結局大きなスーパーのイートインで寿司の昼食。ここは地元のおばあちゃんのたまり場になっているようで、とても賑やか。

 その後伊達博物館大村益次郎宅地あとなど歩いて回る。

大村益次郎が宇和島で住んでいたところ。東京の靖国神社に立派な像があるが、住居はひっそりとたたずんでいる。

 市内には立派なアーケードがあって、店もまだ多くやっていて現役だった。町の中には”角のたばこ屋”も健在など、宇和島はまだどこか昔風が色濃く残っている。想像だが、周囲が山に囲まれ海側にだけ開けている地理的要因から、世間のトレンドとかの波が押し寄せにくいのではないかと思う。どうかこのまま頑張ってもらいたい。
 とっても良い町でした。

ボクのふるさとS市は完全にシャッター街になっているが、宇和島はまだ健在、このまま頑張って欲しい。

 今日は蘇州のメンバーとオンラインマラソン日だった。う~~ん、いくらのんびりした旅といえども、旅の最中にランニングはちょっと無理・・と思いっきり言い訳するが、やっぱり罪悪感。

 

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