西日本ツーリング2023年 ステージ8

■ステージ8 『植村直己』 豊岡→彦根

26日目(日)倉敷→豊岡
 夜中雨が降ったが明け方にやんだ。
 今日は日本海側まで行くのでキャンプ場の門が開く9時には出発したい。8時過ぎに準備完了したところで、孫とLINE通話する。今ボクの廻りは子供が走り回っている、孫もこんな風に元気に育って欲しい、一緒にキャンプに行こうねとは言わんが。

 念のため雨対策をしてから出発。岡山から国道2号線の上りはまるで高速道路だった。途中から北上、県道や国道を色々走るが田舎道で、どこも止まるのが惜しいくらい快適な道路だった。

 昼は道の駅で木地師メシを食する。緑色の笹うどんと大きなおにぎりでお腹いっぱいになった。

木地師メシと言うらしい。これでも一番ゴハンが少ない、美味しい上にお腹いっぱいになった。


 豊岡市を通って今日のキャンプ地、気比の浜に到着した。今日は瀬戸内海側から出発して、日本海に出た。210kmの移動で、最近ではかなり長い距離を走ったことになる。雨に遭わなくて良かった。

 キャンプ場では、管理人の茶髪のお兄さんがわざわざバイクのところに出てきて、とても親切だった。広い砂浜を眼前に控えた草地で結構広く快適。木立はまったく無いので夏の昼はちょっときついだろうね。ここもゴミの受け入れをしてくれ、大変ありがたい。

気比の浜キャンプ場、広大な砂浜のバックヤード、広々して気持ち良いし、海もきれい、最高じゃ無い!

 今日は他に3張り。買い物はちょっと遠く豊岡市街へ。
 キャンプ場でシャワーする、2分間200円、2分は短すぎるが、2分で終わるよう事前に頭の中で何度も手順をシミュレーションをして、時計を置いてシャワーしたがあっという間だった。でもスッキリ。
 ここが地元のHR君(現役時代の中国駐在同僚)に、LINEする。
 
 夕方、広いキャンプ場の中央に鹿が草を食べに出てきた。裏の茂みで「ケーン、ケーン」と雉のような鳴き声がしきりに聞こえるが、声の主はこの鹿かな。
 21時に轟沈した。夜中のトイレで起きると外は、海外沿いというのに風も無く落ち着いた静かな夜だった。

夕方広いキャンプ場の中央に鹿が出てきて草を食んでいる。驚かさないように遠くから写真撮ったので小さいか。

27日目(月)豊岡
 4:45起床、コーヒー後、目の前の防波堤に釣りに行った。ルアーマンが3人居たが、二人はそのうち帰られた。ボクはフライのニンフを振ったが、反応は無し。せめてカサゴかベラくらい遊んで欲しかったな。   
 6:00、テントに戻ってゆっくり。キャンプの朝はとても長い。

目の前の防波堤で釣りをする。淡水用のフライフィッシングじゃちょっと無理かな。

 さて、今回の旅で、最後の目的地がここである。日高町にある植村直己冒険館へ行くつもり。ここは植村さんの生まれ故郷である。植村さんの著作は20代の頃全部暗記するまで読んでいる。ボクにとってここは聖地である。

ついにここに来た!今回の旅の最後の目的地である。

 特に植村さんの「青春を山に賭けて」は名著で有り、著名な冒険家で、この本がきっかけだったと語る方は多い。ボクもこの本にひどく感銘を受けたが、行動や冒険する勇気は持てなかった
 広い駐車場はがらんとしていた。受付をすましまずは映画のところへ。15分間程度の映画がちょうどはじまったが、団体さんが来られたのか外が急に賑やかになった、と思ったら映画が途中で終わってしまった。係の方が誰も居ないと思ってその団体さん用に初めから見せようと切ってしまったみたい。
まあ、ボクも落ち着いて見たいから先の展示コーナーへ行く。

尊敬する人物の横に並ぶなんてちょっと気後れしたが、せっかく訪問したので・・・失礼して写真を。

 もちろん植村さんの経歴は全て知っているし、展示品も写真で見たことあるモノばかりだが、あらためてじっくり拝見させてもらう。行方不明になる冬期マッキンリー前後のビデオは見たことが無かったので、じっくり見させてもらった。本当に惜しい人を、、泣けてくる
 団体さんが追いついてきたが、お年寄りの集団で係の人の説明に、心から感心している雰囲気が感じられ安心した。もう一度映画の方に戻ったが本当に簡単な概略だけだった。

本などでほぼ見たことのある展示物だが、実物は使い古されたあとなどが生々しくすさまじい!

 植村さんの言葉でボクが好きなくだり、特にジジイとなった自分には大いに共感し、自戒の言葉だろうと思う
(前半略)
  ボクらの子供の頃、目に映るモノは全て新鮮で美しかった。
  やりたいことは何でもできた。
  ところが歳を取ってくると疲れてくる
  人々はあきらめ、みんな落ち着いてしまう。
  世界の美しさを見ようとしなくなってしまう。
  大部分の人は夢を失っていくんだよ
  でも僕は、いつまでも子供の心を失わずにこの世を生きようと思う。
  不思議なもの、全ての美しいものを見るためにも・・・
(後半略)

数々の冒険の歴史や人物経歴を紹介したコーナー。冒険が様々な形に広がって大変興味深い。

 その後、大小冒険家の著作が置いてあったり、歴代の植村直己冒険賞受賞者の紹介が有り、とても興味深い。笑われるかも知れないが、現在ボクも自分なりの小冒険とチャレンジを実施中、歳は取っても何か輝くモノは失わないようにしたい、心底思った。

 次のコーナーで、神田道夫氏の気球による太平洋横断時に使用した、水道タンク代用のゴンドラが漂着したままの姿で置いてあった。よくもまあこんなモノ(タンクは現役時代の専門範囲なので・・失礼を承知で)に命を賭けたと半ば絶句。なにも知らない人が見たら、なんだこのゴミは?だろうね。

神田道夫氏による太平洋気球横断時のゴンドラ、太平洋を漂流して4年半、悪石島に漂着。まさかこれが見られるとは!


 その後玄武洞へ、有料だったので無料の資料館だけ見学した。資料を見ていて、ブラタモリででたところだと気がついた。

玄武洞、有料だったので入り口で写真だけ撮ってた。

久見浜湾へ向かう。大きく立派な看板を探し写真を撮る。理由は割愛

この地名が大きく掲示されている看板の前で写真を撮るべく走り回った。(理由は割愛)

 今夜はご夫婦の方と2組だけ。夕方トイレに行くついでにお声をかけたら、そのまま座らせてもらって1時間以上お邪魔した。京都からの社交ダンスの先生ご夫婦で、ご主人は1年先輩だった。キャンプ好きもの同士話は尽きず楽しかった。ごちそうさまでした。

お隣のご夫婦のテントに声をかけ、そのまま話し込んでしまった。シメのカレー入りチキンラーメン、クセになりました。

今回の旅の目的地訪問は、これで終わった
明日から帰路につく

28日目(火)豊岡→彦根
 明け方予想しなかった雨、6時には上がったが結構な雨だった。濡れたテントを撤収する。
 8:50、昨夜のご夫婦、管理人の茶髪さんに挨拶して出発、快適なキャンプでした。

 今日は下道だけで230km移動するので、先を急ぎたい。予定していたこうのとり保護センターは寄らないこととした。
 日本海を見ながら国道312号、178号、27号を走る。思ったほど信号も無く快適な走りが出来た。ほどよい間隔で道の駅が現れ、いつもの様にトイレとコーヒータイムを入れる。昨夜買いすぎたパンが残っているのでそれを昼食代わりに食す。

日本海を見ながら琵琶湖を目指す。この旅は、ここまで3,000kmを走ってきた。

 順調なので、立ち寄った道の駅若狭熊川宿の裏手の熊川宿に歩いて行って見学する。昔の宿場町の景観が目に浮かぶ町並みで、交通の要所だったんでしょうね。街道沿いの家の前には、きれいな水が流れる用水路があり、せせらぎ音が良いよね~~~。釣り師としては小川と言えども清流が家の前に流れるとはなんともうらやましい。

熊川宿、きれいな小川が集落の中心を流れなんとも良い感じ。

 国道303号を東進し峠を越えれば、琵琶湖側に出た。3週間ぶりの琵琶湖だ、キャンプした森のHolidayの近くだろう。
「帰ってきたぞ~~!」
湖北から湖西に出て、懐かしい長浜へ出た。一度訪れるともう自分のふるさとみたいな気分になるもんですね。
 16:00無事、今夜からの宿ファミリーロッジ旅籠屋彦根店に到着
 う~~ん、ちょっと疲れたかな。20:30に就寝

29日目(水)彦根
 今日は終日ホテルで、休息と旅の整理の時間に充てる。
 昼はバイクで15kmほどのところに有る、近江牛専門店「岡喜」でハンバーグ定食、うまい!

旅も終わりに近づき少し財布のヒモも緩み、有名な近江牛のハンバーグ定食


 帰路、このあたりは3週間前に訪れたけど、休館日だった安土城のすぐ近くで裏山だとわかり驚いた。今日は開館している、行こうか迷ったが止めてホテルに戻る。
 昨夜Youtubeで研究した、バイクのメインスタンドの立て方を参考にトライしてみたら、何とかうまく行った。これでチェンドライブを掃除給油できる。
 夕方の買い物は歩いて行った。片道1.8kmなのでちょうど良い運動と思ったが、このあたりは車社会で歩く人は居ない様で、歩道が切れているところはビュンビュン走る車がとても怖かった。
 2回目の洗濯をし、荷物の整理をした。旅も慣れてくると、何をどこに収納したか頭に入っていて、整理も楽になった。今日は良い休養になった。

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