美濃尾張の城巡りのバイク旅 2025年【後半】

大垣城、今回6箇所のお城を巡った。大満足!

6日目 清洲城

4月23日(水)
 予報通りしっかりした雨なので部屋でゆっくり。10:30雨が止んだので出発する。
きょうは清洲城を見学し、一宮尾西歴史民俗資料館に行った。

清洲城、お城自体は、歴史的な裏付けのない近代建築のナンチャッテだが、近くで見ると立派ね。
当時は城郭ではなく、こんな感じの館”だったはず、これでも結構立派で”盛られて”いると思う。
この清洲城は、歴史上で大きな岐路になる事件が2件有りこれで有名、おもしろいね。
お城の中は歴史資料館人は少ないが資料は見応え有り、せっかくなのでじっくり研究する。
信長の像、横の濃姫の像には、現在の濃姫の話は後世に作られた寓話と正直に書いてあった。
一宮尾西歴史民俗資料館、地図には美濃路木曽川ミュージアムと記載、ブラタモリに紹介された所と勘違いした。
この辺りの地名は”起”、江戸時代の宿場町の資料がよく出来て居て、当時の様子がわかりやすい。
日本家屋と日本庭園が併設されて、自由に見学できた

7日目 大垣城と墨俣城

4月24日(木)
 大垣城へ、入館料が4箇所セットなので、郷土館守屋多々志美術館奥の細道記念館も見学し、水の都大垣市を堪能した。
 その後、墨俣一夜城へ、これこそナンチャッテ城だが、展示資料は面白かった。

 これで、美濃尾張の城巡りは終わった。おかげで地理や地形が頭に入ったので、今後の歴史の話が出ても面白さがかなり増すことだろう。

大垣城の東門、当時の門をここに移築されている。今日は天気は良いが風が強い。
大垣城の天守は、昭和11年(1936)に国宝に指定されたが、空襲で焼失、昭和34年に再建。
焼失前の写真が残っていて大変興味深い。現在、この城の外観はほぼ当時を復元している。
現存する絵図を元に当時の城下を、堀が幾重にも重なりこれはかなりの堅城ですよ。
ボクはどうしてもこんな構造図に見入ってしまう。後で見たいのでここに写真で残します。
資料は内容が濃く面白い、でもどの城の資料館に行っても力が入っていて楽しい
大垣市守屋多々志美術館、私は存じ上げない画伯さん。大垣市出身、文化勲章を受章されている。
守屋多々志画伯の横顔と作品例、館内は撮影不可なので、これはパンフレットの写真です。
同じく作品例、「歴史画」が中心、他に小説挿絵や舞台美術、衣装デザインなどでも活躍。
郷土館の入り口、大垣城は200年と長きにわたって、戸田氏が11代でこの地を治めている。
その戸田氏の資料が豊富に展示されている郷土館だった。庭園もきれいだった。
さすが水の都、自噴井があちこちにあった。地元の方が大量に汲んでいた。
大垣城の外堀が水門川となっている、遊歩道も整備されている。水質はちょっと・・だった。
奥の細道むすびの地記念館、入館料が4館で600円と安価、ここはナンチャッテだろうと想像し入ったが・・。
奥の細道と松尾芭蕉について、かなり充実した価値ある記念館だった。これは見学に2~3時間はかかる。
ただ、ボクは奥の細道も芭蕉も良く知らない、勉強してから見学しないと面白くない、また訪れよう!
旅をしていれば、同じように旅をされた芭蕉とは各地で出会う勉強して損はしない
館内のボランティアのお爺さん、バショウの木を見せるためにボクを外に、この後二人で長話をした。
墨俣一夜城キャンプ場で会ったオジサンはこの話は城では無く砦だから、とバカにしていたが・・。
客寄せ城とはもちろん知っているが、長良川沿いのこの城はかなり目立つので寄ってみた。
そうは言っても、昭和52年に前野家古文書に、墨俣一夜城の資料が発見、その全貌は明らかになっている。
現代で言うプレハブ工法で工期短縮したのは事実、あの時代その着眼点は素晴らしい

8日目 移動 羽島→伊那

4月25日(金)
 8:20ホテル発、尾西ICから美濃加茂ICは高速道を利用した。
 今日は通過する道の駅は全て寄っていこうと決めた。そこで、道の駅ひちそう道の駅清流白川道の駅茶の里白川道の駅付知道の駅五木のやかた道の駅賤母道の駅大桑寝覚ノ床見学→道の駅木曽福島道の駅日義木曽伊那パークホテル着16:00、移動距離216km
 ここで伊那市に住むタイ勤務時代の先輩M氏と会い、名物ソースカツ丼屋で久々に飲んだ。

木曽路を北上する、走りやすい快走路ばかりだった。このあたりはずっと岩盤の山なのか
まだ桜が咲いていた。うん?この花はちょっと違うかな
寝覚ノ床四角い巨石はスゴいね花崗岩が浸食されて作られた岩群だが、比較的短期間(1万年)だったらしい
今日は曇り気味、それでも中央アルプスの雪をかぶった山並みは美しい、日本のヘソに到着した。
実がならない桃の花らしい、きれい今回旅ではずっと桜か桃の花を見ていたようだ
2人とも仕事スタイルは武闘派、退役数年経過しても前向きの姿勢は変わらず、大いに盛り上った。

9日目 伊那周遊

4月26日(土)
 昨夜はM氏と久々に熱く語ったせいか、寝不足気味。
 9:00にM氏がクルマで迎えに来てもらい、周辺を案内してもらった。天気は快晴、両アルプスの山並みは冠雪が輝いてとても美しい。午後は、M氏の別宅にお邪魔したあと、伊那市の居酒屋で呑み、結局今日は12時間ずっとおしゃべりしていたが、話は尽きず飽きなかった。2人ともよほど濃い人生なのだろう。

光前寺 両側の石垣の中、光る苔(ヒカリゴケ)が自生、まだ時期が早いらしい
光前寺の本堂、駒ヶ根市にある天台宗の別格本山、ご本尊は不動明王、創建は860年と古刹だ。
霊犬早太郎伝説 静岡磐田市にも同じ伝説が有り、その縁で姉妹都市の関係らしい、面白いね
大田切川、ここはまるで上高地じゃ無いか!と叫びたくなる、中央アルプスとそこから流れる清流
尖った三角の山が、木曽駒ヶ岳連峰の宝剣岳(2931)、ロープウェイで行ける、夏に計画しよう
東側は南アルプス、尖った山頂の甲斐駒ヶ岳が見えるはずだが・・。東西両側のアルプスが美しい。
AR山ナビというアプリで簡単に山の名称がわかる、これは南アルプ側を見ている
お昼は、名物のそばと五平餅、開店11時には行列だった。細いそばは美味しかった。

10日目 帰路とまとめ

4月27日(日)
 朝は晴れているが、5℃でとっても寒かった、さすがアルプスのふもと。伊那市から下道で、往きと同じく山中湖と道志道を通って帰宅した。移動距離:220km

◆まとめ
①今回メイン企画のお城巡りは、得るモノが多く良かった、今後の旅に活かされると思う。でも、この旅に関ヶ原見学を加えていれば、あの当時の歴史巡りとしては完璧だったな。
②奥の細道と芭蕉を知ることは今後の旅に有効だと思う、勉強してみよう。
③今回、雨は一晩だけだったのにホテル泊が多すぎた。キャンプ泊が少なかったので旅としては消化不良だった。
④M氏とのおしゃべりは楽しかった。タイ時代はサシで飲んだことがあったかな?お互い仕事一筋だった。今後は有益な老後を過ごしましょう。
⑤M氏に地元を案内してもらい、一人旅では得られない情報を多くもらい大変有益だった。(毎回同じ反省しているが、事前に勉強不足)
⑥アルプスを見ていると、やはり元気な内に、どこか登山挑戦をしたくなった。
⑦走行データ:1,215km、燃費は27.0Km/L

〈美濃尾張の城巡りのバイク旅 2025年【後半】 終わり

美濃尾張の城巡りのバイク旅 2025年【前半】は → こちら

戻るは → メインメニュー
カテゴリー別に 
旅へ 
釣りへ 
山登りへ 
ランニングへ 
現役時代へ 
生活・その他へ 
お問い合わせへ

コメント

タイトルとURLをコピーしました